2016年9月10日土曜日

料理とわたし

ごはんをつくること、今まではどちらかと言うと義務に感じることが多くありました。
母親なんだから、妻なんだから、健康を守るのはあなたなんだから、ごはんくらいきちんとつくれ!って自分に言い聞かせて。でもね、時々そんな風に自分を追い詰めると辛くなる。なんで?わたしばっかり?もういや、やーめたっ!!ってぶちギレることだって何度もあったよ。でもね、結局のところ「たべること」をいい加減にしてると自分のバランスが保てなくなってまた更に悪循環になるんだよね。
それで、その満足できない自分をどこかに探し求めようとする。人に当たる。で、そういう情けない自分にまた傷つく。
そういうこと、何度も繰り返しやってきた。馬鹿だね。
でもそういう馬鹿な自分を直視して諦めたくなかったから、今がある。

最近はそういうことなくなりました。
自分を自分らしく解放しているっていうか、思いっきり楽しんじゃえばいい!って言うか。なーんも、自分をストレートに表現すればいいじゃん!って。

わたしが毎日の暮らしの中で自分のモチベーションを保てる1番のキーワードは夫の喜ぶ顔が見ていたい!ってこと。
厳しい人なんですよ、すごく。
ものごとを的確に表現するし、批評もしっかりはっきり自分の意見を言う人です。
でも、料理に関してはあまり口を出してこない。
出された料理は文句を言わず食べなさい!と子供達にも喝をいれる。私がどんなに失敗し不味いものを作ったとしてもそのことに対して文句は言わない。「誰も不味いものをつくろうとして作る人なんていないよ」と一言。
こちらが引いちゃうよね。、あああ、申し訳ないって。
最初はそうでした。でも、これって彼なりの愛なのかなって気がついた。
そうこうして15年も共に月日を過ごしてきたから、
私も私の本気で愛をもって夫のことをしっかり支えていきたいなって。
そこのところの軸を履き違えると、わたしは作る意欲をなくします。
ただ料理をしたくてしてるんじゃないんです。愛を持って伝えたいの。

自分がいくらおいしいもの独り占めしてもほんとうにおいしいとは感じていないし(と言うか物足りない)、おいしいと感じるものは夫にも食べてもらいたいし、一緒に味わいたいのです。
できる日とできない日がもちろんあります。でもその強弱もじぶんなりに楽しんじゃえばええ。そんなお気楽な私になれたのも、夫が寄り添ってわたしのつくるごはんを喜んで食べてきてくれたからなのかな。

ほんとうの味というのは結局のところハートで感じているんじゃないかなって思います。
だから、愛する人と食を共にできるということはとてもとてもしあわせなことやね。




0 件のコメント:

コメントを投稿